伊達政宗公の葬礼が行われた歴史ある【大願寺】散策とカフェ【桜terrace】でのんびり癒しのひととき

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大願寺山門(旧万寿院殿霊屋門)
大願寺山門は, 1709年に造営された仙台藩四代藩主伊達綱村夫人仙姫(万寿院)の墓所の門を明治時代初期に墓所のあった小田原高松から現在地に移築したものです。
観音開きの桟唐戸には、夫人の実家稲葉氏の家紋「隅切角に三の字」が入り、細部の造りや文様には禅宗建築の特徴があります。江戸時代中期の伊達家霊廟建築を知ることができる数少ない貴重な門となり、仙台市の指定有形文化財に指定されています。

浄土宗 大願寺について

本堂

大願寺(だいがんじ)は浄土宗の寺院です。
1603年に実蓮社良盛格外和尚が増上山正雲院三縁寺を開山し、1636年には伊達政宗公の葬礼が現在の大願寺の敷地で行われ、棺が焼却され灰塚が造られました。
この灰塚の土地を寺領地にと願い出て、寺名を大願寺と改め本堂を建立した歴史があります。

伊達政宗公灰塚

灰塚への参道

伊達政宗公の灰塚は、本堂の裏手に位置します。

伊達政宗公は、1636年5月24日、江戸桜田の仙台藩邸において、70年にわたる波乱の生涯を終えました。遺骸はすぐに仙台へ運ばれ、6月4日、遺言に従って経ヶ峯(現仙台市青葉区霊屋下)に埋葬されたとされています。
伊達家には、藩主や夫人の遺骸を死後すぐに埋葬し、49日の間に原野で空棺による葬礼を行うという独特の風習がありました。政宗公も風習に則り、埋葬を先に行い、その後連日法要を経て、同年23日大願寺(当時は原野)で葬礼が行われました。
この葬礼は埋葬後であるため、遺骸のない空棺をふくめた葬礼用具一式が当地で焼かれ、灰は多量の土で饅頭状に覆って周囲に土塁を巡らせました。

中央部の円塚
灰塚の濠
灰塚はぐるっと濠で囲われており、小さな橋を渡らないと近づくことが出来ないようになっています。
現在は橋を渡り、中央部の円塚の周りを歩くことができます。
春は桜、初夏には石楠花、秋は紅葉、そして冬にはカモが到来し、伊達政宗公に思いをはせながら四季折々楽しめます。

二代藩主伊達忠宗、三代藩主伊達綱宗の灰塚も大願寺の近くにありましたが、現存していないため、大願寺の灰塚は大変貴重なものとなっています。
また、五代藩主伊達吉村の代に至って、灰塚は戦国時代の遺風であり無益であるとして廃止されました。

仙台三十三観音 第七番札所

観音堂
聖観世音菩薩像
山門を入って右側に観音堂があり、高さ120センチの木製の聖観世音菩薩像が安置されています。
以前は北六番丁の薬本寺にあったとされ、後に大願寺へ移りました。

大願寺散策のあとはカフェ【桜terrace】でゆっくりひと休み

【大願寺の桜】 画像提供:大願寺
春になると大願寺では、思わず足をとめて眺めてしまうほど見事な桜を見ることができます。
そして大願寺山門の前にはゆっくり食事やスイーツを楽しめるカフェ【桜terrace】があります。
桜の季節は桜を眺めながらテラスで食事もできます。
お寺を散策した後は伊達政宗公に思いをはせながら【桜terrace】でひと休みしましょう。
【大願寺八重桜の塩漬けおむすびと季節のおむすび&豚汁セット】
画像提供:桜terrace

大願寺の八重桜を塩漬けにしたものをおむすびに!
心もお腹もあたたかくなる人気のメニューです。
【七番観音さんのお茶セット】
画像提供:桜terrace

大願寺の観音様は仙台三十三観音のうちの第七番にあたります。その大願寺でご祈祷をした散華(さんげ)が付いてきます。
手づくりもちもち白玉を食べて観音様のご利益をいただきましょう。
【タコライス】

お肉はひき肉を半分にし、お豆腐とおからを加えとってもヘルシー!
野菜もたっぷり、見た目も鮮やかでお腹がいっぱいになりますよ。

【桜terrace 外観】
画像提供:桜terrace

散策に疲れたらひとやすみ!

桜terrace 公式Instagram
大願寺 公式ホームページ
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