大切な過去に気づく場所、平和の礎に【仙台空襲 爆撃中心点】

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「爆撃中心点」を示す銘板  写真提供:仙台空襲を記録する有志の会

・大切な過去の記憶に気づく場所

1941年太平洋戦争開戦から80年を迎えた2021年12月に仙台空襲で米軍が焼夷弾投下の目標にした「爆撃中心点」を示す銘板が設置されました。
設置された場所は仙台の繁華街、クリスロード商店街というアーケード街の桜井薬局ビル1階の入り口付近です。毎日たくさんの買い物客でにぎわうこの場所に「仙台空襲を記録する有志の会」(代表:宮城学院女子大学大平聡教授)のみなさんが設置しました。
同会の新妻博子さんは身近な日常の場に大切な過去の記憶に気づく場があること、そしてそれを仙台の歴史の1頁として多くの方に知っていただき、幸せな毎日が続くことに繋がっていければとお話下さいました。
仙台空襲の「爆撃中心点」メモリアルプレート
空襲の爆撃中心点についてのメモリアルプレートが銘板の横の壁にあります。1945年7月10日未明、米軍の爆撃機B-29が123機も仙台上空に襲来しました。わずか2時間余りの間に大量の焼夷弾が投下され、あたり一面焼け野原になり多くの命が奪われました。このプレートには実際の爆撃中心点の現在の位置や、当時の米軍偵察機が撮影した航空写真が記録として示されています。
クリスロードと東三番町の交差点(爆撃中心点)
仙台には独特の美しさ、レトロでモダンな明治・昭和初期の建物が他の都市と比べるとあまり残っていません。それは多くの命、大切な場所を一瞬で奪った仙台空襲があったからでした。仙台空襲では市街地の他に仙台城、大手門、脇櫓などが焼失しました。また伊達政宗公の霊廟である瑞鳳殿も焼失しました。
時間の経過とともに戦争を知らない世代が増え、戦争の記憶も薄れてきてしまっています。また、このようなモニュメントが繁華街にあるのは全国でも仙台市のみです。
「歴史を忘れず、平和の礎を踏み固めてほしい」という願いから、この銘板は踏んでもよいことになっています。地元の方も、観光で仙台へ訪れた方も、この地に来たら平和を思ってこの銘板を踏み固めていただければと思います。

この記事を作成するにあたり
株式会社桜井薬局 桜井昭夫さま
仙台空襲を記録する有志の会 新妻博子さま
にご協力を頂きました。

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